5月の第2日曜日といえば、「母の日」ですね。みなさんは今年「母の日」に何を贈りますか。
贈りものとして「赤いカーネーション」を贈る習慣が日本では定着していますが、どうして「赤いカーネーション」を贈るのか知っていますか?
何となくカーネーションを贈るということを知っていても、「どうして赤いカーネーションなのか」、「この習慣はいつからなのか」、これらを知る人は案外少ないものです。
そこで、このページでは「どうして母の日にカーネーションを贈るようになったのか」、「いつからこの習慣が始まったのか」これらについて紹介しようと思います。
母の日にカーネーションを贈るようになった理由
実はカーネーションを贈る習慣は日本独自のものではなく、アメリカから伝わった習慣と言われています。
アメリカで母の日が誕生したのは、「アンナ・ジャービス」という人物の行動がきっかけとされています。
アンナには戦場の負傷兵をケアしたり、衛生改善活動を行なっていた「アンナ・ジャービス」という母がおり、その母が亡き後、娘のアンナは母を追悼する会を教会で行い、母が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾りました。
これに感動した人々が、翌年に同じ教会で「母の日」として祝い、このときアンナは参加者に白いカーネーションを配ったそうです。
この活動により、白いカーネーションは母の日のシンボルとなり、1914年に5月の第2日曜日は正式に「母の日」として定められました。
この習慣が後に日本にも広まり、日本でも5月の第2日曜日が「母の日」となったようです。
日本に母の日の習慣が広まったのはいつ?
日本に母の日の習慣が広まったのは明治時代末期から大正にかけてと言われています。
広まった理由は諸説ありますが、当時、青山学院教授のアレクサンダーがアメリカの母の日について紹介し、それがキリスト教徒の関係者によって広められたとされています。
そして、この影響により日本各地でも5月の第2日曜が「母の日」として定着しました。
どうして日本では赤いカーネーションを贈るの?
アメリカの習慣、つまり白いカーネーションをあげる習慣が日本に伝わったのに、どうして日本では赤いカーネーションを贈るのでしょうか。
実は、キリスト教徒の間では、白いカーネションと赤いカーネーションにはそれぞれ意味があり、キリスト教徒であるアンナは次のような提案をしました。
- 赤いカーネーション:母親が健在な人が贈る
- 白いカーネーション:母親を亡くした人が贈る
アメリカでは家庭によって、上記のように贈る花の色を区別していて、日本でも母の日が誕生した当時は同様に花の色を区別していました。
しかし、これでは「かわいそうだ」、「傷つく子供がいるのではないか?」という声があり、赤いカーネーションだけが送られるようになりました。
まとめ
今回は母の日にカーネーションを贈るようになった背景について紹介しました。
- 母の日はアメリカから伝わった習慣である。
- 日本に広まったのは明治末期から大正にかけて。
- 日本に広まった当時は白いカーネーションは母親がいない人が、赤いカーネーションは母親が健在な人が贈っていた。
- 一部批判の声もあり、母の日には赤いカーネーションだけを贈るようになった。
さて、皆さんは今年の母の日にどんな贈り物をしますか?